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かまくら家系図作成所

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鎌倉の名所・旧跡・パワースポットのご紹介

源頼朝が鎌倉に幕府を開き800余年。現在に至るまで長い歴史が積み重ねられました。このページでは、古都鎌倉の名所・旧跡・パワースポットをご紹介いたします。

長谷寺
鎌倉市長谷3丁目11-2

写真提供:長谷寺/鎌倉市観光協会

浄土宗系単立。山号は海光山。創建は736年(天平8年)と伝えられる。本尊の観音菩薩像は9.18メートルで木造では日本最大級。その壮大さ、神々しさに、思わず圧倒される巨大観音です。

近年、本尊の観音様に並ぶほどの人気を博しているのがほっこりとした笑顔が素敵な「良縁地蔵」さまです。境内3カ所の良縁地蔵さまをすべてを見つけると良縁に恵まれるという噂が広がって、こちらも人気スポットになっています。

境内は広く、観音堂、阿弥陀堂、大黒堂などが建ち、山腹の見晴台からは鎌倉の町と相模湾が一望でき、天気の良い日は絶景です。有名なアジサイをはじめ四季折々に花を欠かすことのない境内は「鎌倉西方の極楽浄土」と呼ばれています。

鎌倉でトリップアドバイザー第1位、外国の方にも大変人気があります。

鎌倉大仏殿高徳院
鎌倉市長谷4丁目2-28

写真提供:鎌倉大仏殿高徳院/鎌倉市観光協会

現在は浄土宗。正式には大異山高徳院清浄泉寺。開山、開基ともに不明。奈良の大仏が勅命で作られたのに対し、鎌倉大仏は民衆からの浄財によって完成に至ったといわれていますが、詳細は不明。何かと不明なことが多く、かえって神秘的なものを感じます。

台座を含めると13メートル超の高さ。地震などで破損し、何度も大規模な修復はされていますが、奈良の大仏様と違い、ほぼ創建当時の姿を保っていることが特徴です。

以前は、津波で大仏殿が流され、大仏様だけがその場に残ったとされていましたが、近年の研究でそれ以前から露坐(外に座っている)の大仏となっていたことがわかっています。 

ちなみに、露座(外に座っている)の大仏様ですが、きちんと工夫がされていて敷地外からは見ることができません。

建長寺
鎌倉市山ノ内8

臨済宗建長寺派大本山。鎌倉五山第一位。山号は巨福山。

建長5年(1253年)五代執権の北条時頼が、南宋の蘭渓道隆(大覚禅師)招き開山。当時は、承久の乱を経て、鎌倉幕府の権力基盤が安定し、政治的には事実上、鎌倉が日本の首府として機能しはじめた時代でした。そのためか境内に入ると清らかな力強い空気を感じます。

日本で最初の禅専門道場の禅寺であり、現在でも「座禅会」が定期的に開催され、外国人の方の姿も多く見受けられます。

創建当時の建物は、火災などにより、ほとんど残っていませんが、総門・三門・仏殿・法堂・方丈が一直線に並ぶ伽藍配置は、創建当時の禅宗寺院の面影を色濃く残すものとされています。ぜひ、直線を意識して歩いてみてください。

建長寺には限りない清風が吹きわたり、みなさんの心をやすらかにしてくれます。(公式サイトより)

報国寺
鎌倉市浄明寺2丁目7-4

臨済宗建長寺派。山号は功臣山。古くから境内の竹林が有名で「竹庭の寺」と呼ばれています。1334(建武元)年に、天岸慧広(仏乗禅師)が開山。足利尊氏の祖父足利家時が開基として開かれ、関東公方足利氏と深いつながりがありました。

永享の乱(1439年、足利持氏の室町幕府将軍・足利義教への反乱)で関東公方・足利持氏は敗退し、永安寺で自刃した時、その長子・義久もこの寺に入って自刃した関東公方終焉の地としても知られています。

そんな歴史に思いを馳せつつ、境内を散策した後は、茶席「休耕庵」で、美しいお庭を眺めながら、お抹茶をいただくことができます。

鎌倉駅からは少し距離がありますが(徒歩約30分、バス便もあり)、駅周辺の著名な観光名所に比べ、静かで落ち着いた雰囲気が魅力です。

銭洗弁財天
鎌倉市佐助2丁目25-16

銭洗弁財天宇賀福神社。通称は「銭洗弁財天」と呼ばれています。

源頼朝の夢に、巳の年の文治元年(1185)の巳の月、巳の日の巳の刻、宇賀福神から「この地に湧き出す水で神仏を供養せよ、そうすれば天下泰平の世が訪れる」とお告げがあり、源頼朝はこの地に社を建てて宇賀福神を祀ったのがはじまりといわれています。

この話が発展していつの頃からか、その霊水でお金を洗うと倍になると言う信仰が生まれ、霊水「銭洗水」が湧く神社として有名になりました。

銭洗水は境内の洞窟(奥宮)で湧き、ご利益にあずかろうと多くの参拝客が訪れます。 また、弁財天の縁日である巳の日は特にご利益があるとされ、土日祝日と重なると大変な賑わいとなります。ここまで混んでいると、ご利益も薄まってしまいそうな気もしますが。。

神社の入り口付近は急な坂道。歩きやすい靴・服装がおすすめです。近くには、ハイキングコースがあり、ハイキングの途中で立ち寄ることもできます。

鶴岡八幡宮
鎌倉市雪ノ下2-1-31

写真提供:鎌倉市観光協会

年間1000万人以上が訪れる鎌倉のランドマーク的な存在。比較的空いている午前中の参拝がおすすめです。

祭神は、応神天皇、比売神、神功皇后。日本を代表する八幡宮の一つ。1063年、源頼義が源氏の守り神として、京都の石清水八幡宮を勧請したことに始まります。1180年に鎌倉入りした源頼朝が現在の地に遷座して鶴岡若宮と称しました。

社から南、由比ガ浜方面に向かって真っすぐ延びる若宮大路と呼ばれる参道は、現在も鎌倉のメインストリートとして機能しています。

1月は手斧始式、2月は節分、4月は鎌倉まつり(静の舞、流鏑馬)など年間を通して、四季折々、様々な行事が開催されています。

満福寺
鎌倉市腰越2-4-8

義経の腰越状が残る満福寺

■満福寺の紹介

江ノ電の腰越駅下車後徒歩3分で、鎌倉で最も古い寺院の一つ満福寺に到着します。前景を海、背景を山に持つ満福寺は、744年民間布教に熱心だった僧・行基による開山と伝えられます。現在、京都大覚寺派真言宗の寺院となっています。

本尊は秘仏の薬師三尊像。大晦日の除夜の鐘が響く時にだけ開帳されます。また、寺院では珍しく、宇賀神(うがじん)と呼ばれる頭が老人で身体が蛇の姿をした穀物の神も祀られています。

■遺された手紙「腰越状」。

満福寺には『義経記』などに登場する、源義経が兄・源頼朝に書いた有名な手紙「腰越状」の下書きが残されています。

源義経は、一の谷、屋島で平家軍を破り、1185年に壇ノ浦でついに平家一門を滅亡させた、源平合戦の最大の功労者。

しかし、彼は兄の源頼朝の怒りを買ってしまい、兄のところへ凱旋しようとしても鎌倉に入ることを許されませんでした。

そこで義経一行は鎌倉の手前の腰越にあるこの満福寺に逗留し、滞在中に義経が兄に許しを乞うための嘆願文を記したのです。それが「腰越状」です。

当寺に残っているのは、弁慶が書いたその下書きだと言われています。

「私が法皇様より、五位の尉に任命されましたのは、私のためだけではなく、兄君と源家の名誉を考えてのこと。私には野心など毛頭もございません。それにもかかわらず、このようにきついお叱りを受けては、この義経の気持をどのようにお伝えすれば、分かっていただけるのでしょうか。度々「神仏に誓って偽りを申しません」と、起請文を差し上げましたが、いまだお許しのご返事はいただいておりません。」

ひたすら兄を慕い、従うことを切々と兄に訴える義経の手紙です。

嘆願書を書いた義経は、頼朝の側近である学者の大江広元(おおえのひろもと)に託しましたが、手紙は届かなかったといいます。兄の怒りを解くことができなかった義経は、仕方なく京に戻り、兄弟の決裂は決定的になりました。1189年、義経は奥州の衣川で頼朝に圧力をかけられた藤原泰衡(ふじわらのやすひら)に攻撃され、自刃しています。

<真言宗大覚寺派 龍護山満福寺:鎌倉市腰越2-4-8>

補陀洛寺
鎌倉市材木座6-7-31

源頼朝創建 「打倒平家」を祈った補陀洛寺

平家を倒し、源氏のトップとして鎌倉幕府を開いた源頼朝(1147~1199年)は、観音信仰の強い人物で、戦の時にも観音菩薩の念持仏を持っていたそうです。鎌倉市材木座の住宅地にひっそりと建つ補陀洛寺は、そんな頼朝が打倒平家を祈願した寺院です。

 

■源頼朝が建立した巨大寺院、別名・竜巻寺

1181年、源頼朝が打倒平家を祈るために、文覚上人(もんがくしょうにん)を開山として建立したと言われています。

補陀洛はサンスクリット語で「ポータラカ」。

漢字は当て字になっており、「観音菩薩が降臨する場所」という意味です。

創建当初は七堂伽藍を持った壮大な規模の寺領を持った大寺院でした。

薬師如来が本尊だった時代もあるそうですが、南北朝時代に十一面観音を本尊として再興されたと伝わっています。

かつてこの寺は別名・竜巻寺(たつまきでら)とも呼ばれていました。

海に比較的近いため、たびたび竜巻や暴風雨にさらされたからです。

また、何度も火災に遭い、寺には文書類は残されていません。

当寺の由来に不明な点が多いのは、他所に残された資料でしか寺の様子を知る方法がないからです。

 

■源頼朝と文覚上人の打倒平家祈願

開山した文覚上人(1139~1203年)は、もともとは摂津源氏の傘下にあった遠藤氏出身の武士・遠藤盛遠(えんどうもりとお)といいました。19歳で出家し、京都の神護寺の再興を強訴したことで伊豆国に配流され、そこで同じ伊豆国蛭ヶ島に流されていた源頼朝と知り合ったのです。頼朝によって創建されたこの補陀洛寺で、文覚上人は平家調伏の護摩を焚いて祈祷したといいます。

 

■仏像と寺宝「平家の赤旗」

【補陀洛寺の貴重な仏像】

かつての大寺院だけあって補陀洛寺には多くの貴重な仏像が残されています。

本尊の「十一面観世音菩薩像」は、彫りの浅い素朴な一木造りの像。創建当時の平安末期に地方の仏師が彫ったと考えられ、穏やかな表情ながらも、護摩にいぶされて黒く、凄みのある像です。

「薬師如来三尊像」「地蔵菩薩半跏像」そして「秘鍵大師像(ひけんだいしぞう)」という弘法大師が般若心経を講義する姿の珍しい像もあります。それらを含めた多くの仏像以外に、素朴な味わいの「源頼朝坐像」、滝行中の裸の文覚上人を表わした「文覚上人坐像」などもあります。

 

【平家の旗】

珍しい寺宝として「九萬八千軍神」と書かれた「平家の赤旗」も伝わっています。大きさは70cm x 40cm程度。文字は平清盛によるものだと言われます。源頼朝が平家を滅ぼした際に、総大将・平宗盛の大将旗を持ち帰って奉納したのです。

見れば旗の周囲はちぎれてしまっています。明治の終わりに流行した疫病が、平家の祟りだと言われ、多くの人がこの赤旗をちぎって煎じたり食べたりしたからだそうです。この旗は、毎年「鎌倉まつり」の期間中(4月第2日曜日~4月第3日曜日)から5月末日まで公開されます。

 

寺境内の入口には「源頼朝公御祈願所 補陀洛寺」の石碑があります。本堂前には樹齢150年と言われるサルスベリの古木があり、夏には花が境内を美しく彩ります。

 

<真言宗大覚寺派 補陀洛寺:鎌倉市材木座6-7-31>

権五郎神社(御霊神社)
鎌倉市坂の下4-9

正式な名称は、御霊神社。江ノ電の長谷駅から徒歩5分ほど。江ノ電の線路のすぐ横が境内で、踏切を渡ると鳥居があります。

【鎌倉景政】

平安時代後期に現在の鎌倉や湘南地域一帯を領地とした鎌倉権五郎景政を祭神とする神社です。鎌倉武士の鑑とされた剛毅な武将です。

源義家が奥州を平定した後三年の役(1083~1087年)に、初陣16歳で従軍した景政は、左眼を矢で射抜かれても屈することなく相手を打ち取りました。刺さった矢を抜こうとした三浦為継が景正の顔に足を掛けたとき、「弓矢に当たって死するは武士の本望。なのに土足をもって面部を踏むとは何事ぞ」といってその非礼を刀を構えて叱咤した剛毅は歌舞伎にもうたわれ、鎌倉武士の誇りとなりました。

このような景正の逸話などから、除災招福、眼病平癒に御利益があるとされています。

周囲は、こんもりとした緑がいっぱいで、静かで荘厳なな雰囲気。飾り気はないですが、よく観察すると、社殿の彫刻も見事です。

隠れたあじさいの名所としても知られていて、その季節には、写真撮影の人々で賑わいます。

鎌倉市坂ノ下4−9

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