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貨幣の系図 前篇 古代~中世(室町・安土桃山時代)

貨幣の系図(前編)

人類史上、最大の発明ともいわれる「お金」。人間社会は、「お金」とともに発展し、複雑化してきました。

私たちの暮らす日本にも、流通する貨幣には長い歴史があります。貨幣の家系図とでも言えるお金の歴史についてみていきましょう。

 

【古代:物々交換から米、布、塩などの物品貨幣へ】

当然ですが、古代には貨幣は存在しません。

人々は欲しい物があると、自分の持っているものと取り替える「物々交換」を行っていました。

やがて欲しい物を、誰もが価値を認める米・布・塩などの特定の品物と交換するようになります。

日本では、保存ができて誰でも欲しがる「米」が主に物々交換の仲立ちをするようになりました。

米や塩、これらの物が貨幣としての役割を果たす「物品貨幣」となっていったのです。

 

つまり、貨幣が成立する要件としては、

  • 誰もが欲しがること
  • 誰もが価値を認めること

があげられます。

 

●米や塩から金・銀・銅など貴金属の時代へ

 

飛鳥時代:富本銭(ふほんせん)

日本最初の流通貨幣との説もある富本銭。

昭和、平成になってからの遺跡調査によって、奈良県明日香村の飛鳥池遺跡などで、多くの「富本銭」が見つかりました。

『日本書紀』の記述によると、683年に鋳造された可能性が高い銅貨です。

直径約24.4mmの円形の中央に約6mmx6.5mmの四角い穴があいています。唐の貨幣を模したものと推定されます。

実際に流通した貨幣なのか、宗教的な物なのか使用目的は明確ではなく、さらなる研究が必要とされています。

 

 

【奈良・平安時代:皇朝十二銭(和同開珎含む)、宋銭】

 

■和同開珎・皇朝十二銭

708年、国内で銅の産出が始まったのを契機に作られたのが「和同開珎(わどうかいほう、わどうかいちん)」です。直径約24mmの円形の中央に約7mmの正方形の穴が開いた銅貨です。

遣唐使などを通じて日本に伝来した中国の開元通宝と呼ばれる貨幣をモデルにしました。朝廷は、710年に都となった平城京造営のための労賃や資材購入などの支払い、また庸(よう)・調(ちょう)などと呼ばれる税を銭で納めさせようと流通政策を実施しています。

それ以降の約250年の間にさらに11種類の銅銭が作られました。和同開珎を含め、朝廷が発行したこれらの貨幣は「皇朝十二銭」と呼ばれます。いずれも形は和同開珎に似ています。

発行はしたものの、まだまだ、一般には、物々交換が主流で通貨というものになじみのない当時の人々の間でなかなか流通しなかったため、皇朝銭の実際の流通範囲は近畿地方とその周辺に限られていたようです。

また、政府が定めた価値が地金の価値に比べて非常に高かったため、発行当初から、民間で勝手に発行された私鋳銭の横行や貨幣価値の下落が起きました。

 

■宋銭の時代へ

原材料の銅の生産量が減ると、貨幣の質の低下、サイズの縮小によって信用度が落ち、10世紀末には製造中止となりました。その後の約600年間、日本で貨幣は造られていません。

皇朝銭製造中止で世の中は物品貨幣に逆戻り。しかし、経済が発達すると再度貨幣のニーズが高まりました。やがて貿易で砂金を輸出して中国の宋から銅銭の輸入を開始。それが「宋銭(渡来銭)」です。

平清盛が活躍した12世紀後半には、多量の宋銭が輸入され流通しました。細かく種類は分かれますが、サイズ・形状はどれも似ており、丸い貨幣に正方形の穴が開いています。

 

 

【室町時代:永楽通宝(えいらくつうほう)、大名による金貨・銀貨、びた銭】

 

■永楽通宝

室町幕府も貨幣の鋳造は行わず、中国の明との貿易で「永楽通宝」という中国の明朝第3代皇帝・永楽帝の代、永楽9年(1411年)より鋳造され始めた銅製銭貨を大量に輸入しました。

当時、質が良く重さも一定している明銭は、信用のおける重要な輸入品でした。

この永楽通宝は、広く流通し、江戸時代初期まで使用されていました。織田信長の「旗印」としても有名です。

同時に、世間では混ぜ物をした私鋳銭も出回るようになりました。「びた銭」と呼ばれるこれらの粗悪な質の貨幣が多く混入してトラブルの元になっています。

 

■大判小判・金貨

その後、南蛮貿易が盛んになると新たな技術の精錬法が伝わりました。

そこで16世紀中頃には、国内の金銀採掘が盛んとなり、戦国大名たちはさまざまな金貨や銀貨を作っています。特に軍用金や恩賞目的で作られた武田信玄による「甲州金」が知られます。

甲州金は、甲斐国内に限る地方通貨ではありますが、使い方が整備されるうちに、日本で初めて制度化された貨幣となりました。

天下を統一した豊臣秀吉も、1588年には褒美用として「天正大判」と呼ばれる金貨を作っています。これらは鋳造年代により種類が変わりますが、いずれも楕円形の大判で全て約165gに統一されています。

天正大判の中でも長径が約17cm以上、短径が約10cmという「天正長大判」は、日本で最も大きなサイズの貨幣です。

しかし、大判小判等の貨幣は、恩賞目的や記念品的な使われ方が主であったので、日常使用する実用的な貨幣は、永楽通宝等の明銭や私鋳銭(びた銭)でした。

 

2020年5月

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司法書士・行政書士 日永田一憲

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