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戦国浅井家の娘、お江の家系がすごい
近江で活躍した戦国武将・浅井長政。その娘の一人がお江(ごう)。彼女の子孫の家系は、なんと現在の皇室まで繋がっています。
■お江とは、彼女の家族とは?
お江は、浅井長政を父に持ち、織田信長の妹であるお市を母に持つ浅井三姉妹の一人。茶々、初に続く三姉妹の一番下です。多くの苦労を重ね、お江は、江戸幕府第3代将軍・徳川家光の生母となった女性です。
彼女の父親の浅井長政が1573年に自害したあと、お江たち三姉妹は母方の伯父・織田信長、信長の家臣、柴田勝家に引き取られます。1583年に賤ヶ岳の戦いで母と勝家が自害したために、実父長政、養父勝家の仇となる秀吉に保護されました。
■お江の夫と子供たち
その後、お江は羽柴秀吉の手駒として、政略結婚に利用されます。
【最初の夫・佐治一成】
お江が最初の夫・織田家家臣の佐治一成(さじかずなり)に嫁いだのは1584年。のち佐治一成は、戦で敵に手を貸した疑いにより、秀吉に追放され、お江も夫と離縁となりました。
【2番目の夫・豊臣秀勝】
お江の再婚相手は、秀吉の養子・豊臣秀勝。お江は秀勝の子を身ごもりますが、秀勝は朝鮮出兵の最中1592年に戦病死。誕生した娘の完子(さだこ)は、伯母の茶々(淀殿)に引き取られました。
【3番目の夫・徳川秀忠】
お江は1595年に徳川秀忠に嫁ぎます。豊臣秀頼の後ろ盾として徳川家に期待をかける秀吉の戦略の一環でした。しかしその後、天下は豊臣から徳川へと移り、1616年にはお江の夫・徳川秀忠が江戸幕府第2代将軍となったのです。お江は夫との間に2男5女の7人の子供をもうけました。子のうちの一人は第3代将軍・家光となったので、お江は将軍の正室兼将軍の生母という非常に尊貴な女性となりました。
■お江の子孫たち
お江が残した子供たちから始まる家系のうち、いくつかは長く現代にも続いています。
【将軍・徳川家光の家系は曾孫で断絶】
家光の子、つまりお江の孫は4代将軍・家綱、5代将軍・綱吉将軍を継ぎました。さらに曾孫が6代将軍・家宣、そして7代将軍・家継となります。しかし、家継が6歳で死没。家光系のお江の子孫はここで絶えています。
【徳川家光の姉・珠姫の家系は今も】
お江の次女で将軍家光の姉・珠姫は、加賀の前田家に嫁ぎました。その後、前田家は養子縁組をすることなく現在まで家系が続いているため、お江の血は今も受け継がれているということでしょう。
【豊臣秀勝の家系は現代まで!】
豊臣秀勝との間に生まれたお江の娘・完子は公家の九条忠栄(ただひで)に嫁ぎ、4男3女に恵まれました。その次男・九条道房の家系が大正天皇の妻となった貞明皇后に続きます。つまり、お江の血統は昭和天皇、明仁上皇、今上天皇、さらに言えば私たちが知る親王・内親王にもつながっているのです。
■おわりに
父親から浅井家の血を、母親から織田家の血を引くお江の家系は、なんと現在の皇室に流れているのです。お江の家系恐るべし、ですね。
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