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菅原道真を祭神とした京都の北野天満宮には、1185年の源平合戦での勝利と鎌倉幕府の成立へと導いた源氏重代の名刀・髭切(ひげきり/銘・國綱)という太刀が奉納されています。逸話や伝説に頼る部分も含まれますが、この宝刀にまつわる歴史を紐解いてみましょう。
■宝剣髭切
「髭切(ひげきり)」は、清和源氏二代目の源満仲が作らせた、最高の鉄を鍛えた二振りの刀のうちの一振りでした。人を斬った時に、髭まで切ってしまうその切れ味にちなんで付けられた名前です。ちなみにもう一振りの名前は「膝丸」といいます。
■刀の名前と持ち主の変遷
【髭切から鬼切】
満仲は、「髭切」と「膝丸」の二振りを嫡男の源頼光に預けます。頼光四天王の一人、渡辺綱(わたなべのつな)が護身のためにと「髭切」を持たされた際、京の一条戻橋で襲ってきた鬼の手をこの刀で切り落としました。以来、刀は「鬼切(おにきり)」と呼ばれます。
【獅子ノ子】
「鬼切」は、頼光の甥・源頼義、その長男・八幡太郎義家(源義家)を経て、義家の孫・為義(ためよし)へと伝えられます。為義の代には、刀が夜中に獅子のように吼えたので「獅子ノ子」と名を変えました。
【友切】
源為義は、「獅子ノ子(髭切)」と対になっていた「膝丸」を娘婿に与えていました。そこで、代わりに「膝丸」とそっくりで「獅子ノ子」より二分(約6mm)ほど長い「小烏(こがらす)」という剣を作ります。ある時、それら二振りを抜き身にして障子に立て掛けておいたところ、ひとりでに刀が倒れました。見ると、「小烏」が切られ、二振りは同じ長さになっていました。為義は、それが「獅子ノ子」の仕業だと考え、名を「友切」と変えたのです。
【再び髭切】
「友切」は為義から息子の源義朝へ、さらに孫の源頼朝に譲られました。源氏重代の宝刀を手にした頼朝でしたが、敗戦が続きます。すると、それを嘆く彼に「友切の名を髭切に戻せば剣の力が戻る」と八幡大菩薩のお告げがあったのです。頼朝が刀の名を「髭切」に戻すと、源氏は源平合戦で見事勝利しました。
「髭切」はその後、源氏、北条氏、新田義貞、そして最上氏へと伝わり、1880年に有志によって北野天満宮に奉納されました。
こうして伝説の宝刀は「北野天満宮 御宝刀 鬼切丸 別名髭切」として現在に至ります。
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